何事にも、起承転結と云うことがある。書でも絵でも、小唄でも文でもお話しの言葉にでも人生百般の事柄にも起承転結がある。
例へば戰友見てくれ、これが起だ
おいらの伜 これが承だ、
尋常一年アイウエオ 転だ
国に忠議と書いてある、これが結びである。
今の若い人には味へまいが、ひげもじやの老兵が慰問袋を開けて居る状況がよく判る。子供を思ひ出して、ハリ裂けるやうな胸の中の淋しさが現はれてゐる。
一つの字を書く中にも起があり、転があり結がある。此の四行程の中に少しでもユルミがると、死んだ字になって終うのだ、ためらってはならない、休んではならない。だから、俺は、書道の稽古の時は先づ勢と云う字を幾つも幾つも書く。
手紙にも、簡單な起は拝啓で初まるし、皆様お変りございませんかと長く書いても起である。
人生にも起承転結でね。赤ちやんが起で、学校時代が承で成年時代が転で、老年は結。手紙と同じて、起がうまく書けないと、その手紙の力の入れどころがはっきりしないと同じやうに、人生も幼い時の起が上手に出来てゐないと、承も良くゆかぬ。転の時の面白味もないままに候、かしこの結びになって終う。
毎日、朝起きてから寝る結の間が承転である、寝起きが悪るかったら、一日が無駄になって終う。
起-承-転-結は、運を正す為の大切なものである。
