「魚川」とは老人の俳号である、石の面白い話から俳句、そして書道のはなし、老人は最初支那の「僧素懐」の字に傾倒した、日本で素懐の字を模習したのは、良寛唯一人であったから、自分も自然に良寛の字に似せて来て、今では、自分乍ら良く似て居ると思う要するに字には「勢」が大切だねと云はれて、心肝に徹して悟った。
人生一生も、日常茶飯の小事にも、起承転結があり、その根本をなすものは「勢」であると。
其の後、魚川老人には逢はない、老人であったから、或は、と、思はれる、只其の後俺は「素懐」の千字文の拓本を入手して、大切にしてゐる、それを見る度に魚川老人を思ひ出し、「勢」と云ふ誡を與えられた事を有難く有難く思ってゐるのである。
世の中には美くしい絵はある、只美くしいだけである、幸福に暮して居る人がある、只幸福の形だけで、起承転結の正しくないもの、起承転結の無いものすらある、それは只絵の具を塗った絵のやうなもの、絵の為に画かれた絵である、
宗教の信仰も、信仰、信仰と、信仰することを専らとして、信神家らしく生活して居る、それは人眞似して絵の具を塗りたくって居るのではないか、となりの人が彼方へ行くから、私も!!の式ではないか、お正月になると、娘達がチンも杓子も一せいに日本髪を結ひたがるのと同じだ、世間が斯うだから、人が斯う云ったから、或は切角人が絵の具を持って来てくれたが、いやでも塗らねばならない、これではどんな絵どんな人生を創造出来ると云うのか、考へねばならぬことである。
