楚の武王は、大臣や侍臣達を退らせると、又、暗い顔にかへって、爪と噛み乍ら考へ込んで終った。
その顔は先程まで凱旋を祝ひに来た群臣や、一族の者や隣国からの祝賀の使節に見せたあの豪放な笑ひ聲とは全く似ても付かぬ深刻なものである。
隣国の鄭や西隣の大国斉からの親善使節として来た大学者の張祐などは口を極めて此の三ヶ月間の戰爭の推進を策略的に讃嘆してくれたし、一族の者の中で特に反抗的な弟や妻の李氏の親類達も今ではすっかり敬服の態度をとり、此の度は十五縣域も手に這入ったから、益々国も強くなり、三ヶ月の侵略で趙国は十五城を失うと共に、再起出来ぬ程貧乏のどん底に落ちたのだから、暫くの間は「戰爭もないさ」と大変陽気になって終ってゐる。
實際此の度の戰爭には国の興廢を賭けて、過去七年もの間用意して来た事だ、それだから、武將は勿論、一兵卒だって必死だったし、歌丘の夜戰では後方の炊事人夫、馬飼ひまで自ら進んで、手当り次第の武器を持って戰ってくれた。
「確かに趙は俺の国よりは小さい、今度もまたちいさくはなった、然しまだ目の上のコブなのだ、それも、彼奴が生きて居る中は!!」これが武王の心の裡だ、皆には判ってゐない、判られても困るのだ、そして、みんなは、只、お芽出とうございますだ。
皆が退って終うと、暗い影がさす。勝った勝ったと皆も祝う、確かに敵は降伏した、今日から十五日目には新らしい国境の歌丘の城でその調印式がある。
勿論、趙王も臣禮を取ると云うし、斉鄭魯からも祝賀の為に重臣が使節参列すると云って来た。「これはこれで良い」ときめても尚ほ武王の心は重い。
