「お茶がオイシイと云う人は、丈夫なんです、心に悩みの無い人なんです」十年前、フイと飛び込んで来たルンペン乞食に茶を振舞ったら、そう云って帰って行った。
確かにその通りだと思ったことがある。
「先生のところのお茶はおいしいですね」と云って下さる人は、此処に来て、ヤレヤレと落付いて下さった人なのである、心の悩み、心配事がある人は、お茶の味を味はって下さらない、此の人には落付いて貰はねばならないからお茶をすすめる私も一苦勞である、只のお茶ではあるが、これをすすめる者に責任がある。
靜かに落付いて出したお茶と、あわただしい、或は怒り、或は悲しみの心で出したお茶とは同じ味だろうか、同じ湯、茶であり乍ら、同じ味であったとしても「心の味ひ」が違ふのではないか、お客様に心靜かに落付いて貰ふには、茶を出す自分が靜かに正しく落付いた気持でなければならないこれを気付いたのは十年前、由来、カキガラ町の三畳の小屋住ひから、人形町と両国までお茶坊子として、落付け靜かに、こころ正しくと念じて来てゐる。
だから、お客様においしいお茶と云はれると、自分の為にもお客様の為にも本当に㐂しくなる。
刀を抜いて、怒鳴り込んで来ても、私はお茶だ、靜かに靜かに落付いて、サア一つと出そう、それを呑んでくれたら、もう当方の勝だと思う、その時、心靜か煎茶出来る「自分」でありたい。
