肥料をやらない木、そのお茶の木を探した人の心、本当のお茶を味ひたかった人の心、それは失はれたものへの憧れと慕ひではなかったか?その一捥の茶の味ひは、渋くともにがかろうとも、其処には遠い小山と、其処に住み働いて居た我々の祖先のまづしい炉辺の味ひまでもよみがへるものであったろう。
大阪の女流作家や詩人、歌人や芸術にたつさはる女流名士?達が三十人程で旅行したそうな、その時の案内役をした彫刻家の隨筆にこんな事が書いてあった。
奈良近傍の寺々の有名な佛像や建築を見廻って後、ウネビ山か何処かの、小高い丘の道傍の石像を見に廻った。その石像は裸形の三体で、二体は男、一体は猿の像であるが、素朴で純なそして大らかに、のんびりしたその立ち姿は何とも云へない安定感、親近感がある、その顔の表情も今まで見て来た佛像達の智恵の輝きでもなく、慈悲のうるほひでもなく、教示の為の嚴しさでもない、底抜けに明るい、無邪気さがある、その案内の芸術家は云った、私達のあこがれ求めてゐるものはこれなのです。
