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「片片草」 思ひ付き、のこと-1

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-07-31

 

私は道具好きで、古道具屋に行くのが好きです。特に日常お茶坊主のやうに、茶釜の前に坐って居る為か、茶呑み茶碗に気か引かれるけれど滅多に買ったことがない。


何故なら、一つ一つの茶碗に作者の気持が判るやうな気がして、ひたと親しめないのである。その人が有名の人でなくとも良い、窯が何處でもよい、土がどこのものでも良いではないか、その茶碗と一緒に暫くでも暮してみたい。世の中の辛酸甘苦を嘗めつくした、芸術の極地に遊ぶ人が無心に形づくり燒いたものであれば、飽くことなく手に持って眺めて居られやう。

今の電気式の陶窯で作られる大量生産の陶器には思ひ付きの良い、面白いデザインのものもあって、面白いな!!と思ふがそれは丁度酒場で変った娘に一寸話してみようかな程度の興味を感ずる程度のものか、それにくらべると、愛蔵してある古志野の玉露茶碗は、武骨なゴツゴツした手で作られたもの、鉄さびの色で小松と輪違ひが何気なく書いてあって、それが白の上ぐすりと融け合って面白い色になってゐる、これは何時何程眺めても飽きない。世の中も思ひ付きの世の中になって終って、新しい突飛な思ひ付きが歡迎されてゐる、その思ひ付きが大衆の趣味に旨く合致すれば大流行する、茶羽織がそうだったし、フラフープ、ダッコチャン然り、歌謡曲でも少し思ひ付きの奇声でも出せばすぐスポンサーが上手に宣傳してくれる。そしてレコードが賣れる、その風潮が今度は、華道に這入りこんで、昔yの奥床しさが無くなったと思ったら、堅實だよと思って居た書道も「芸術である」となって、お葬の字のやうに薄墨で書いたり、四條派の画のやうに逆筆まで用いる、これも思ひ付き、それは、珍奇なことをして、大衆の注意を引かねばならぬから、旧来の事なんか「構って居られるか、兎に角オマンマにならねば」なのである、此うなると、今度は思ひ付きを教へる「デザイン学校が出来て受験生がワイワイ、みんなを入学させて、月謝一年分前拂ひのこと、結好良い儲けそれこそ良い「思ひ付き」であった。
 

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