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「片片草」 第三国家-4

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-08-11

 

印度の乞食は、又、印度人全般に、とっての乞食に対する考へ方は、少しも不自然と思ってゐない。不幸とも思ってゐない。不幸てあると云う言葉も知らないのかも知れない。


不潔、文盲、無智蒙昧と稱せられ乍ら、それは文明人からの批判だ。彼等は不自由なく結婚してゐる、文明国の文明人が男女ともあり余ってゐ乍ら結婚難で苦しんでゐる様なものではない。子供の生活も安易であり、貧困の中でも立派に成長して行く、自分が黙って借りてゐる軒庇の家の主人がピカピカの自動車に乗って出ようとも、其処を追はれない限りは自分の生活とは関係のない事だ。


代々生れ死に、生き継いでその様にして生きて来た四億の印度人には、人生とは此の様なものと諦觀してゐるものの様に思はれる。


實際貧困とは云ひ乍ら、受け續、継がれた何かの教へがあるらしい。生活の掟が、隣人が如何に富んでゐやうともその生活を眞似しやふとしない根本を作り出してゐるのではないか。


例へば、今、富んだアメリカ人がその貧しい人達の生活を批判し、不潔だ無智だと云ひ、アメリカの豊かな生活を誘ってみせても、彼等は、我不関、として居よう、いよいよウルサクしてその生活の不幸さを云ひ立てられると、「そうですか、貴方達はその様な発達した文明をお待ちで幸福なのですか、本当に苦しみも無くて居られるのですか、あの原子爆彈を作り、使ふ恐怖はございませんか、文明の発達の結果人間が機械の一部になって、物質には豊かでも不安な生活になって居ませんか」と聞きかへされたら、豊かなアメリカ人は何と答へるだろうか。

 

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