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「片片草」 乞食の唄-2

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-08-25

 

俺あね、乞食が好きでね、こじきの姿を見ると、妙に楽しくなる、「おしやべり」にも、乞食と云うことで書いたが、乞食のことを、いろいろ觀察してたのしい、何故こんなになったか考へてみると、どうも俺の幼少の頃の生活に関係あるじやないかと考へる、床の間に寒山拾得の画がかかってゐた。仙人道士の絵なんだが、俺には箒を持ち、塵取りを持った乞食に見えた、こんな奴こそ偉いんだなと思ひ込んだらしい。

次にはお母さん(御母上様だぞ)が悪るい、親切で、情が厚くて、泣き蟲で、誰でも、乞食でも連れて来て世話して居た。

秋田に居た頃なんか、ルンペンの男二人を連れ込んで世話したは良いが、チフス患者だったんで、離れで発病、いろいろ看病してやって、二人が癒て、庭に手を付いて泣き乍らお禮の挨さつをして居る二人を覚えてゐるが、その時はお母さんが感染して重態だったし、次には俺も病気になったやうに思う、兎に角、始終連れて来たり、拾って来て世話してゐた母の愛情過多症が遺傳したのか?

次に乞食は仙人に似て居るから好きだ、只、今の乞食は火食するから、本当の乞食ではない、乞食の本ものは炊煮して食はぬものだ、そのままを食べて、次の食物すら残して蓄へることを仕ないものである、この火食せずに徹底したら、聖人、仙人なのである、鍋釜一つもいてもそれは最早や「乞食さま」ではない、立派な貧乏人になって終う、この貧乏人は沢山いる、自動車まで持って、会社の社長さまになって、有っても有っても、「まだたりない、まだたりない」これからくらべると、乞食は立派だ、只、ほんものの乞食がゐないのは淋しい。
 

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