大体最初から、恩義の感念なんかないのだ、唯、相手を自分の為に動かし、理用する為にペコペコ、やいろんな、自分の気に云うやうな事を云ってくれる、芝居のセリフみたいなもの、それに迷はされて、世話する俺が低能か?畜生の方が悧巧なんか、この畜生は、社会で大きくのさばる、喋る家のペリ子のやうに、只ワンワン吠えるだけではない、人間の畜生は、いろいろの言葉を喋るんだ、舌も二枚や三枚だけではない、ツラの皮も百枚張りだ、その上におもしろい、紅まで塗ってゐる。甘い言葉が上手なんだ、だから、此の畜生のゐるところは、嬌声の賑やかなところ、ワイワイと笑ひ合ふところ、こんな処に生きてゐる畜生と云うものに、恩義があってたまるものか、畜生地獄にはお金が湯水の様に湧いて、愛情が桝に入れて一升、二升と量り賣りされてゐる。
人間の社会に、こんな五つの地獄があるのである。
毎日の生活の中に、天魔もゐるし、修羅になってゐると、鬼になって㐂こんでゐる奴もいろし、愚痴で、自ら暗い生活をしてゐるのもいる。又、紅燈綠酒の中に畜生が甘い唄を歌うのだ。
此の世の中は「地獄」である。切角、人間であり乍ら、地獄の生活をせねばならぬのだ、逆に地獄こそ、人の生活所なのかとも考へたくなる。
「煩悩即菩提」と云うけれど、「ウソもまこと」と云うけれど、人間は余りにあさましい。只、天魔修羅鬼餓鬼畜生には、「心」一つでならずにすむ』
