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「片片草」 地獄談義-1

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-08-29

 

昔から「地獄の沙汰も金次第」と云うが、ヂゴクの沙汰ものもで複數なら、此の現世も、人の世も一切合戝金で解決付くと云うことか、これでは厭だ、「地獄の沙汰は金次第」にして、此の世の中のことは、金でなく、人情で處理したいものである、然し、此の世こそ「地獄」ならば金でなければ、又、地獄も金さへあればなんとかなるのなら、此の世こそ俺も金でなんとかヤッツケルか?


仇が金の世の中で、せめて一時なりとも金にめぐり合ってと思って探し廻ってゐる者もあるし、金の仇に天晴れ返り打ちになってるのもある、斯うなると、金が動かしてゐる世の中は、地獄以上のものなのか、そうすると、「地獄の沙汰も金次第」と云うなら、地獄も、金があれば何とかなるよ地獄も本当は人情と云うことになって、金が第一義でなくなる。此の世の中より、人情的なのか知らん。

「聞いて極楽来てみて地獄」と云う、案外ゴクラクは窮屈なもんだ、釈迦や觀音さまと隣組になつてみろ、ザーマスザーマス言葉になって、ウッカリ大声でも擧げやうなら、「育ちが悪るいんザーませう」と、云はれて終ひそうだ、地獄の方はせいせいしてね、撲られたら撲り返へせるし、カミ付かれたら、思ひ切り蹴とばしてやれる、サッパリするよ気分が楽だね、人情的だよ、俺なんか、お釈迦様の教へを切り賣りして食って来たし、孔子の論語の曰くを、いい加減に味噌醤油を入れて味付けして喋って居るし、孫子呉子の兵法を孫子呉子にことはりなしに講義してアゴを養ったから、ゴクラクに行くと、きっとひどい目に逢はされるに違ひない、だから、いっそ、地獄に行って、鬼共を集めて、人の世で出来なかった悪るい事を思ひ切ってやれるだけやった方が面白そうだ。
 

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