此の人を登山家とすると、今日まで、あの山この山とあらゆる処を踏み通って、暴風雨に打たれ、旱天に曝らされ、餓も乞も通った人だ、斯くてリーダーとしての資格が出来る。
マナスル登頂した槇博士は日本中の山を歩るいた人だ、そして、ヒマラヤをも何遍も登った人で、世界的にその技量を認められた人である。隨負十三名も日本中の山を歩き廻り、あらゆる困難を味ったベテラン揃ひでである、彼等であってこそ、マナスルを眺めて、登れる自信があってこそ、登ろうと云う自信に依る「希望」が出来たのだ。
君は、登山家としてなら、まだ山を踏み越えたことのない登山家だ。雪山の無常、積雪の怖しさ、
山の雨の冷さ、飢からくる寒さの体驗が無いだろ、人生の苦の川を泳いだこともあるまい、借金の谷に行き詰まったこともあるまい。口車に乗って崖から落ちたこともあるまい。
それでは輝く名譽の山が目前に連らなるつてゐても自信があるまい、希望が持てまい。
自信がないのは当り前だ。まだ小山も小川も越えてゐないじやないか、或は小川の一本を徒渉したかも知れない。但し人に手を引かれて、さあ、これから、一人で歩るくとなると、平地でも心配だ、雨になったらどうしやう、風が吹いたらどうしたらよいか。
立ちすくんで動けない奴に限って、こんな弱虫にかぎって、「希望」だなんてないのさ。そんな弱い躯で自信のない足で山を見て登ろうと云う自信は、滅茶に値ひする、尊敬しやうか?
