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「片片草」 希望-3

著者:若月佑孔 / 元ブログ投稿日:2025-09-18

 

今は違う、明日の事がアテにならぬ。味噌も醤油も連成だ、インスタントコーヒ、インスタントラーメン、インスタント学問だ、其の時さへ間に合へばよい、の時代だ、その場その場を生きる事に精一パイで、フーフー云ってゐる、そんなのに希望はなんて云ったって無駄だよ、皆がフーフー云って其の日其の日に駆け廻って居る、春だ、花見となると、春の風情と花の色を眺めて、心楽しくあそぶのではない、ソラ休みだ休まなきや損だ、酒だ、招待だ、山の中までラジオを持って行く、テレビまで提げて行って、ギヤギヤギヤ、ウルサイウルサイ。

然し、其の人達も生きている。明日はどうなるか判らないのに、今日も矢張り取引してゐる、生きる為だ。そして、明日、明後日、せめて一年後に備へてゐるのだ、何故、それが出来る。

「明日が若し暴風雨でも通るさ」「何とかするさ」「何とかなるさ」なのだ、これは「自信」だ、今までもこれで通って来てゐるのだ、將来への希望なんて云はなくとも、自信があるからさ、其は親不孝をし乍らも、親に対して義務觀念のある伜みたいなものだ。

その自信の無い奴こそ、ウロウロ迷ひ、そして、希望だ希望だなんて云う、義務觀念を失って、自由自由と云うのと同じである。

「自信」は必ず經驗を重ねて生ずる、明日は暴風でも山を越えやう、雨でもナアニ大丈夫さ、何とかなるさの自信は、今まで散々苦勞した人の持つ自信なのである。自信を持つ者は現在の困難にも自分の立場を失って迷はないし、將来への危險にも方策を持って安定して進む。その自信力に対して、四囲の人は安心感信頼感を持って集まり、此処に協力が出来て来る、不安で迷って居る者に誰が協力するものか。
 

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