意味と成り立ち 美しさ、恋しさ、悲しさなどに触れて、思わず心が動くことをいう。古典の「あはれ」を現代の「かわいそう」だけで読むと、喜びや親愛の広がりが失われる。歴史的仮名遣いの「は」は、現代の読みでは「わ」となる。
和歌一 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし
大僧正行尊 『金葉和歌集 雑上556』
現代語訳 私があなたをしみじみと愛しく思うように、山桜よ、あなたも私を思っておくれ。ほかに知る人はいないのだから。
解説 用例:山桜に向けた「あはれ」は、共に心を通わせたいという親愛を含む。 山桜に相互の情を求める呼びかけ。「あはれ」は一方的な憐れみだけでなく、孤独の中で互いの存在を受け止める感動になっている。
和歌二 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
謙徳公 『拾遺和歌集 恋五950』
現代語訳 かわいそうにと言ってくれそうな人も思い浮かばず、私はむなしく死んでしまいそうだ。
解説 用例:「あはれとも」は苦しむ自分を思いやってほしいという願い。同じ語の異なる方向が分かる。 「あはれ」に、相手の苦しみに心を寄せる意味が現れる。恋歌の極端な嘆きとして読む必要があり、伝記上の死の予告と決めつけない。
現代の用例と使い分け 「秋の夕暮れに、しみじみとしたあはれを感じる」。現代の会話では「しみじみ心にしみる」と言い換えると伝わりやすい。
国学の視点 宣長は『石上私淑言』巻一で、ものごとに触れて心が深く感じることを「あはれ」と説明しています。悲哀だけに限らず、心の動きから歌を読む視点です。本項の二首でも、何に心を動かされているかを確かめてみましょう。〔国1〕